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7/10/2008 他人に言われると明日死ぬだろうな。 自分でそう思っても、慌てたり焦ったりする人は少ないと思います。 あなたは明日死にますよ。 他人にそう言われると、急に怖くなります。 自分で思ってもなんとも思わないのに、他人に言われることは怖くてしかたがない。
なぜでしょう?
理由はよくわかりませんが……。 もし、あなたの周りに「自殺する」と言う人がいたとしたら、その人に、あなたはこう言えばいい。 「あなたがどうしても死にたいと言うのなら、私があなたを殺します。」 その人は、もう自殺をしたいなどとは思わなくなるでしょう。
7/8/2008 松本人志は天才かダウンタウンの松本人志という人のことを「天才」と呼ぶ人がいます。テレビを見ていると、多くの人が彼のことを天才と言っていますが、私にはさっぱり意味がわかりません。 テレビに出ている松本さんは少しも面白くないのですが、テレビに出ていないところで何かすごいことでもやってるんでしょうか? なんだか、周りの人がみんな彼のことを「天才」と言っているから、自分も「彼は天才だ」と言わないと白い目で見られるとか、そういう理由でもあるのでしょうか。いわゆる、芸能界での大御所に対する「ヨイショ」みたいなもの? 天才のやってることは、私のような凡人には理解できないということかな。 なんだか、王様の耳はロバの耳みたいな話ですね。「松本さんは天才だ」といわないと、自分は凡人だと思われてしまう……みたいな。
7/7/2008 有料です無料占いの看板を出してチャットで待機しているときに、入ってきた人が最初に聞くのが「無料ですか?」ですね。もちろん、「無料です」と答えたあとは「占ってください」ということになるのですが、試しに「有料です」と答えると、たいていの人は大慌てで逃げていきます。そんなに「有料」が怖いのでしょうか。 「有料です」とか言われても、占いをしないのなら関係ないのですから、普通に会話をすればいいと思うんですよね。 「無料」と書いてあるのに「有料です」と言うのはどういう意味だとか、そういう疑問すら抱こうとはしない。とにかく「有料」という言葉に条件反射してしまう人ばかり。もしかしたら、冗談で「有料です」と言っているだけかもしれないのに……。 なんだか、まともにコミュニケーションができない人が多すぎて、悲しくなります。
7/4/2008 無知こそ悪インターネットが犯罪の原因になっているなどと、まるで悪いものであるかのように見ている人もいるようですが、そういう人たちに限って、インターネットのことをきちんと理解していないようです。 インターネットが悪だから制限したり禁止したりするという考え方は、世の中をもっと狂った方向に進めてしまうだけです。 それよりも、インターネットやパソコンになじみのない人たちに、しっかりと教育し、日常生活の中で体験してもらうべきでしょう。特に、子供のころからそういうものに触れてこなかった今の大人たちこそ、しっかりと学ぶべきです。 そういった、自らの責任を棚上げにしておいて、よく知りもしないものを勝手に「悪」だと決め付けて非難するのはやめてもらいたいですね。 若い人たちも、自分の親や祖父母にインターネットなどの使い方を教えてあげるとよいでしょう。そうすれば、家族とのコミュニケーションもより円滑になって、離れて暮らしていてもお互いの様子を伝え合うことができるようになります。 そういったことのほうが、よっぽど犯罪の抑制につながると思います。
7/3/2008 記憶脳の記憶容量はいったいどれくらいあるのでしょう。人は、見たもの聞いたもの、体験したことすべてを記憶しているといいます。特別な才能を持った人たちの中には、自分の見たものをまるで写真のように再現することができたりする人もいるのだとか。 例えば、コンピューターの中で処理される一枚の写真のデータとしての要領は、横1280ピクセル×縦1024ピクセルでフルカラーの場合、計算上は約40メガバイトくらいになるかと思います。実際には圧縮処理されたりするので、試しに私のパソコン上でビットマップの画像を作ってみたら約4メガバイトでした。仮にこの画像を40ギガバイトのハードディスクのパソコンに保存するとすると、だいたい1万枚の画像を保存できる計算になります。 記憶の中では映像は動画として保存されていると想定すると、1秒に30コマの動画の場合、約5分ほどで1万枚の画像を使い切ってしまいます。そう考えると、40ギガバイトのパソコンは人生の5分程度の容量しかないという見方もできるでしょう。実際には、記憶の中には映像以外にも音声や、その他の情報も大量に含まれるので、5分よりもずっと短くなるはずです。 本当に、そんなに大量の記憶が、こんなに小さな脳に詰まっているのでしょうか? もしかしたら、記憶の「ありか」は脳ではなく、どこか別の場所にあるのかもしれません。 最近のパソコンも、データは個人のパソコン上ではなく、インターネットなどのネットワークを経由したどこか別の場所にあるサーバーに保存していることが多くなりましたね。これなら、どんなに情報量が増えても、パソコンのハードディスクを増設したりする必要はありません。 極端な話し、ハードディスクすら必要なくて、最近の携帯電話などはそのもっともシンプルな例だと思います。携帯でインターネットにアクセスすれば、ネット上の膨大な情報をすべて利用することができます。 人間の脳も、もしかしたら、記憶は脳に保存しているのではなくて、宇宙のどこかにある「サーバー」に保存しているのかもしれません。脳は、その記憶にアクセスするための端末(パソコンや携帯)にすぎないわけです。 もちろん、サーバーは共有されていても、データにはきちんとセキュリティが設定されているので、個人情報にアクセスできるのは本人のみです。自分の記憶が脳の中にあろうと、どこかのサーバーの中にあろうと、個人がそれを意識することはほとんどないでしょう。ネットに常時接続されたパソコンの場合と同じです。 記憶は、脳の中ではなく、どこか別の場所にある。そう考えると、納得できます。 とはいえ、そもそも、記憶などというもののありかを物理的なものと同じ扱いで考えていること自体間違っているのかもしれません。 記憶は、ここにあり、そこにあり、どこにでもある。そういうものなのかもしれません。 なんとなく、そんな気がする……ということが、真実だったりしますからね。
7/2/2008 彼と結婚できますか?「彼と結婚できますか?」 と聞かれれば、彼と結婚できるのかどうか占います。答えは「できる」か「できない」かの二つに一つ。 その時の占い結果は「結婚できない」でした。相談者は「結婚したいのに……」とがっかりして帰って行きました。 そんな気持ちになるくらいなら最初から占わなければいいのにと思います。占った私のほうもあまりいい気分ではありません。でも、これが占いなんです。しかたありません。 しかし、たとえ占い師に「結婚できない」と言われても、自分の信念を貫いて結婚することができたとしたら、それこそが、その人の本当の人生なのだと思います。 人生は占いが決めるのではありません。たまたま、人生の一部に占い師に占なってもらったという過去が刻まれるだけのことです。 でも、できることなら、次からは占い師にこう質問しましょう。 「どうすれば結婚できますか?」 その方が、よっぽど結婚への近道となるでしょう。
7/1/2008 13日の金曜日一日一件のブログの記事を書くのが今年の目標でしたが、先月は少しサボってしまいました。七月になったので投稿を再開します。 先月の最後に秋葉原の事件の記事を投稿したのですが、その記事を少しでも多くの人に読んでもらいたいと思って、新しい記事の投稿を控えていたのです。その記事が六月最後の記事となれば月ごとのバックナンバーでも常に一番上に表示されて目に付くようになります。 今ごろ気づいたのですが、その記事を投稿したのは十三日の金曜日でしたね。そのような不吉な日を意図的に選んで投稿したわけではないのですが、この偶然の一致には特別な意味があると考えてもいいと思います。神がその日に投稿するように、私を導いたのです。その内容の重大さを裏付けるための、神からのメッセージだったのかもしれません。 事件に関連した記事をリストにまとめておきました。 リスト「明日すべきこと」 明日のためにすべきことです。決して、忘れてはなりません。
6/13/2008 秋葉原の無差別殺傷事件6月8日、昼ごろ、東京秋葉原で通り魔による無差別殺傷事件が発生……。 事件がなぜ起きたのか。その責任は加害者の彼一人にあるわけではありません。彼をそこまで追い込んでしまったのは何なのか。なぜ防げなかったのか。今、はっきりと言えることは、「彼一人を責めたところで世の中は何も変わらない」ということです。 これが、数日前からの、メイシュエさんの占いや、ファルスさんとの会話の中で感じていたものの答えだったのでしょうか。すべては、ここにたどり着くための伏線だったのでしょうか。 しかし、なぜ、こんなことになる前に、誰も気づこうとしなかったのか……。事件が起きてしまってからでは遅すぎるのです! 私はその時の気持ちを手紙に書いて、ファルスさんに渡しました。 こんにちは、ファルスさん。 アポロです。 秋葉原の無差別殺傷事件のニュースを見ました。ああ、ついに起きたか……そう思わずにはいられません。激しい怒りと悔しさが同時にこみ上げてきました。こんなことになる前に、私たちは彼を止めることができなかったのです。 彼をあそこまで追い込んでしまったのは、「人々の無関心」です。誰も、彼を見てあげなかった。彼に声をかけてあげなかった。彼は、ほったらかされていた……。 彼は、その孤独に耐えられなかったのです。 セカンドライフの世界は、現実世界の縮図です。ここでも、「フレンド」はたくさん登録しているのに、自分からは声をかけようとしない人ばかりです。他人から声をかけられるのを待っているばかり。結局、誰もが他人を愛することよりも、「自分が愛されること」しか考えていないのです。フレンド登録は「自分が愛されるための下準備」として利用されているようなものです。 ファルスさんは、他人から声をかけられたときにはそれに快く応じているので、「自分は他人に親切に接している」と思い込んでいることでしょう。自分は世話焼きが好きな善人だと思い込んでいることでしょう。でも、それは身勝手な自己満足にすぎないのです。 今、私たちが本当にすべきことは、「他人に関心を持つこと」です。それは、決して「親切の押し売り」などではありません。何もしてあげなくてもいい。ただ、 「あなたに日ごろから関心を持っていますよ」 「あなたの存在価値を認めていますよ」 「あなたは必要とされているのですよ」 ということを、誠意を持って伝えるだけでいいのです。人は、それだけで生きていけます。 その方法は、とても簡単です。あなたの友人をどこかで見かけたり、オンラインになっているのを見つけたら、ただ一言、「こんにちは」と挨拶の言葉を交わすだけでいいのです。たったそれだけのこと。それさえできていれば、あんな悲惨な事件は起きなかったと、私は信じています。 誰かが自分に挨拶してくるのを待っているのではなく、自分から進んで挨拶をすること。それが重要なのです。ファルスさんにはそれができますか? 私が以前、「ファルスさんから話しかけられたことがない」というようなことを言うと、ファルスさんは堂々と「自分から話しかけるつもりはない」などと答えていましたね。しかし、それは恥ずべきことです。私だって、本当はそういうことは苦手です。でも、そういったことから逃げてしまったら、これからもあのような事件は増え続けることになるでしょう。その責任は「私たち」にあるのです。 自分が誰かに求められてから(相手が自分に関心を示してから)、それに対する見返りとして世話を焼いてあげるのではなく、世話など焼かなくていいから、自分から相手に関心を示してあげること。それが何より大切なのです。 秋葉原の無差別殺傷事件のように大きな事件にならなくても、ストーカーなどの人間関係のトラブルは、すでに日常茶飯事となっているでしょう。そういったトラブルも、結局は、人々の「他人に対する無関心」が原因なのです。世の中にはストーカーの加害者の人格ばかり責めるような風潮がありますが、本当に悪いのは、むしろ、加害者の周囲の人々です。責任はすべて彼ら……いえ、同じ世界に住む私たち全員にあるといっても過言ではありません。これは、決して「他人事ではない」のです。 事件になってしまってから加害者になってしまった彼の存在に気づいても遅すぎるのです。 今回の事件は私たちに重要な「気づき」をもたらしたはずです。 なぜこのタイミングなのでしょう? 人々は、今こそ気づくべき時なのです。 「献身」という使命に……。 Apollo Mager
あなたが今、隣にいる人を「無視」した瞬間に、その人は殺人鬼に変わるかもしれないのだ。 「無視」や「無関心」ほど重い罪はない。
6/8/2008 献身メイシュエさんの占いの感想をかねて、「献身」について考えたことを書いて、手紙を送りました。 私がこの手紙を書いたのは6月8日の夜でしたが、私はまだ、あの事件のことを知りませんでした。 こんにちは、メイシュエさん。 先日占ってもらったアポロです。 占いの中でキーワードとして出てきた「献身」ですが、その意味がなんとなくわかってきましたよ。 それはいわば「自己犠牲」の一つの形だと思うのですが、同じ自己犠牲でも「献金」や「献物」ではなく、「献身」であることが重要なのだと思います。 それは、私個人に限らず、セカンドライフという3D仮想空間で活動する人々(住人)すべてにとって、今こそ真剣に「反省すべき問題」ではないかというような気がしてきました。 これまで、セカンドライフという世界は多くのクリエイターたちによってあらゆる「物」が生み出されてきたと思います。それによって「3D仮想空間」が成り立ち、その土地やオブジェクトの売買によって経済活動も活発に行われています。こういった経緯から、この世界の価値観が物質的なものに大きく偏っていたのではないかと思われます。 その結果、どういうことになったかというと、土地や建物、そして、売買される様々なアイテムが並べられたショップなどはたくさんできましたが、そこに生活する「人」がどこにもいないゴーストタウンばかりになってしまいました。 (もちろん、人が集まる場所もいくつかありますが……) そこで、土地やショップのオーナーたちはキャンプを設置して人集めをするわけですが、そうやって集まってくる人たちは、しょせんは「金」で動いているだけです。そのアバターを操作しているのが人間ならまだましですが、最近では bot と呼ばれる無人のアバターが場所を占拠しているだけの場合も増えてきています。結局、ほとんどのキャンプ場では生活感のある活気を生み出すことに失敗しています。 3D仮想空間の黎明期には、こうした物質面に偏ったクリエイティブな活動は最も重要なことであり、クリエイターたちはまさに「神」と呼んでもよい地位にあったと思いますが、そうした時代を経て、次に必要なものは「人」なのだと思います。
洋の東西を問わず、様々な神話において、神々はまずこの「世界」を作り、そして最後に「人」を作りました。今こそ、このセカンドライフの世界にも「人」が必要とされる時代なのではないかと。それこそが、まさに「献身」の時代。私が占ってもらった「明日」とは、それが求められる未来を象徴したものだったのかもしれません。 セカンドライフの世界には、もちろん最初から人は存在していましたが、今まではいわば「神話」の時代であって、彼らは(メイシュエさんも含め)「神」と呼ばれる人たちなのだと思います。 これからこの世界を体験する人たちは、いわば最初の人類、アダムとイブです。あなた方「神」は、彼ら「人」を導き、この世界で「生活」できるようにしてあげなければなりません。そういった行為はまさに「神々による献身」といえるでしょう。 また、これからこの世界を体験する人々も含め、私たちがこの世界ですべきことは、物作りや売買(経済活動)だけでなく、自分自身がこの世界で過ごし、他の人々と「時間と空間を共有すること」です。その「身」を誰かのために「献(ささぐ)」こと。すなわち「献身」こそが、何より求められる時代なのです。 そういうことに人々が気づき、自らの使命を果たすようになれば、この世界に活気が生まれ、ゴーストタウンはなくなってゆくでしょう。 現状のセカンドライフで、あちこちに見られるゴーストタウンは、現在のセカンドライフ・ユーザーの乾いた心の中を象徴しているような気がします。人々の心の中が閑散としているから、それを表現する空間も閑散としてしまうのは当然のことです。いまさら「そんなことはない」と反論してみても、それが虚栄であることは誰の目にも明らかです。 「献身」といっても、何をすればいいのかわからない。私も占い結果を聞いたときにはそう思いました。具体的にこうすればいいというはっきりした答えは無いと思いますが、まずは、何はともあれ、この3D仮想空間の中に「その身を投じること」ですね。 目的がはっきりしていなくても、その地に降り立ち、存在することが大切なのだと思います。一人では何も起きないかもしれませんが、もう一人、誰かがそこに現れたら、私には「こんにちは」と挨拶をすることができます。何気ない挨拶でも、それは、とても価値のある「献身」だと思います。 神が、アダムだけではなくイブも一緒に造ったのは、どちらか一人だけでは「献身」などできないからでしょう。彼らには「フレンド」が必要だったのです。それを表したタロットカードが、「Ⅵ 恋人」ですね。
私たちは、争ったり憎しみあったりするためにこの世に生まれてきたわけではありません。「愛しあうため」に生まれてきたのです! メイシュエさんも、フレンド・リストを見ればすでにたくさんの人の名前が登録されているでしょう。その中にオンラインになっている人を見たら、自分から進んで挨拶をする。ただそれだけでもいいと思います。あるいは、その人がいそうな場所に会いに行ってみて、直接お互いのアバターを見ながら挨拶をしてみる。そこから何も発展しなくても、そこで共有した時間や空間は何物にも代えがたい価値があるのです。 たくさんフレンドを登録しても、自分から挨拶したり会いに行ったりしなければ何も始まりません。相手から来るのを待っているだけではダメなのです。自分から相手に何かをしてあげること。「献身」とは、そういうことですよね。 先日、どこかのチャット・キャンプでメイシュエさんにお会いしましたよね。あの時、私はメイシュエさんのプロフィールを見て、「ピック」で紹介されていた場所をめぐっていて、偶然メイシュエさんに遭遇したのですが、こういった行動もまた、「献身」といってもいいと思います。 あの占いは私に対して行ったものだからと、他人事のように思わないでください。私は、この「献身」という行為は、今のセカンドライフの「すべての住人」にとって、とても大切なことだと感じています。私はたまたま、そのことをメイシュエさんの占いを切っ掛けにして気づくことになっただけだと思います。 セカンドライフ・バブルがはじけて、世間からはあまり注目されなくなったこの世界に、今になってやってきた私のような新規ユーザーは、アダムとイブと同じ「人」と呼ばれる世代といってもいいと思います。その私の「明日」を占って「献身」という結果が出るのは当然のことです。 メイシュエさんの言うとおり、「明日」とは「未来」を象徴する言葉です。その未来を担う「人々」すべてに、この「献身」の精神が必要なのです。 では、また。 Apollo Mager
セカンドライフという3D仮想世界は、現実世界(リアルライフ)の縮図です。現実世界に起きている問題は、まるで映し鏡のように、セカンドライフの中でも同じように起きているのです。セカンドライフの中で起きている問題を、「仮想の出来事」として見過ごしてはならないのです。 今ここで起きている問題に真剣に向き合わなければ、現実世界の問題も解決することはできないでしょう。
6/7/2008 フレンド先日ファルスさんとサロンで話しかけた「コミュニケーション」について、一人でずっと考えていました。手紙を書くことを口実に、ファルスさんに私の考えを伝えてみることにしました。 セカンドライフ・ビュアーを起動して、ノートカードに以下のような手紙を書いて、ファルスさん宛に送信しました。 こんにちは、ファルスさん。 アポロです。 しばらくオンラインではファルスさんを見かけないので、手紙でも書きます。 先日ちょっと触れた「コミュニケーション」についてお話ししたいと思います。本当は、この問題についてまじめに話したかったのですが、あの時はそういう雰囲気でもないかなぁと思って控えてしまいました。(私も疲れていましたし。) こういったこと(コミュニケーションについて)は前々から気になっていたことなのですが、セカンドライフをするようになって、ますます深刻に考えるようになっています。 というのは、セカンドライフの住人のコミュニケーションの傾向に、少し異常を感じ始めているのです。 セカンドライフには「フレンド」という機能があります。ファルスさんからも出会ったその日にフレンドの申し出をいただき、私にとっては二人目のフレンドとなりました。このフレンドという機能はとても便利なのですが、その便利さゆえに、かえって、本来の「人間らしいコミュニケーション」がおろそかにされているような気がしたのです。 フレンド、すなわち「友達」というものは、普段の何気ない生活の中で自然にできてくるものだと思います。しばらく交流があって、信頼関係などを築き上げ、結果的に「友達」という関係になっているものです。 ところが、「フレンド」という機能はそのプロセスが逆で、自分のリストに登録さえすれば、交流などはほとんどなくても「友達」になってしまいます。その「友達」の肩書きだけで、信頼関係まで自動的に築き上げられてしまうようなものです。(それは錯覚に過ぎないのですが……。) こういったことは、インターネット時代のスピーディーな交流が求められる時代には必須といえるようなものとなってしまったのかもしれません。セカンドライフに限らず、mixi などの SNS といわれるようなものはほとんどこのような機能が付けられています。 また、メッセンジャーソフトなどは、このフレンド機能がメインとなったコミュニケーションツールといえるでしょう。昔流行った ICQ などでも自分のリストに何十、何百という名前を登録して自慢している人がいました。 こういった機能やソフトを使って友達を増やすこと自体は悪いことではないと思います。それで、「人」と「人」とのつながりが広がっていくことはとてもすばらしいことだと思います。リアルライフの日常生活の中ではなかなか友達が作りにくい時代だけに、こういった機能やソフトは有効に活用すべきものでもある |